夏休みの神事 体験版
【まえがき】
※[ご注意ください]
【あらすじ】
それは普段は全く目立たない、場合によっては存在すら気付かれない、用務員のおじさんとの秘め事。
誰も居なくなる夏休み初日の学校の校舎の奥の脇の影の、これまた全く目立たない、場合によっては存在すら気付かれない用務員室。
地元の人でも、ほとんどの人はそれが何をするものか、具体的には知っていない。
そんな『夏休みの神事』。
選ばれし用務員のおじさんと、毎年変わる選ばれしオノコが、それぞれにその肉体を器として神に委ねる。
神同士がまぐわい、そして、その感覚は器となる双方、特にオノコに強く響いた。
その響きは、特に成長真っ只中であるオノコの性の器に大きな発見と感動をもたらし、選ばれしオノコは自身の肉体に様々な気持ち良さを知り、感じ、育てて、立派なオトコへの階段を一つ、登って行くのだ。
それはそれは、とても珍妙な神事なのだ。
自然豊かな、緑溢れる山地の一角に唐突に現れる、固めた砂の大地と古びた木造の校舎。
夏休みに入ったばかりの、人の気配が消えるこの時期に、それは毎年行われる。
場所は校舎の最も奥にぽつんと隣接した用務員室。
校舎しか使うことのない生徒たちはその存在に気付かないことすらままある、目立たない地味な建屋だ。
その『神事』とは、人の出入りが極端に少なくなるこの時期の、学校の安全を祈願するものらしいのだが、『そんな事で神事?』、いや、今ではめっきり減ったかもしれないが、首を傾げたくなるような謎の神事ってのは案外そこかしこにある(残っている)ものだ。
寂れた、いや、今時分の話ならもうとっくに廃校になっていてもおかしくないような立地であり、地方なのだが、なぜだか、いつもぎりぎり、いやそこそこ生徒の数を保ってここまで続いてきた。
それもこれもこの神事のおかげだとも言われる。
こじつけと言われればそれまでのような気もするが。
ただ、その神事の内容を具体的に知る者は極僅かで、地元の人々の多くはその存在を認知こそすれ、何か良く知らないけど儀式みたいなもん、程度の認識しか持っていない。
その神事で中心人物の一人となるのが、誰あろう『用務員のおじさん』こと、わしなのである。
『わし』と言っても、これは地方性も絡んでいるので、皆が思うほど歳は取っておらぬぞ?
そして、中心人物がわしと言っても、わしはただの器。
神が降臨し、一時的に神に一つの肉体を明け渡し自由に使っていただく。
その身を供するのがわしの役目だ。
そして、もう一方の中心人物。神事に欠かせぬとされるオノコは、毎年この学校の生徒の中から選出される。
春先、新学年が始まった辺りから粛々と、育ちが良く、オノコからオトコに進化しつつある健康な男児を幾人か候補と見立てて、それとなく神事の打診を始めるのだ。
その中で、特に神事に前向きな生徒をその年のオノコとする。
不思議なことに、毎年、少なくとも一人は神事に関わるオノコが出てくる。
数が多過ぎる年は、わしに絞り込みの依頼が来ることもあって、申し訳無いがそのときは全くのわしの好みでもってオノコを選ばせてもらう。
ただ、ある意味、最も育ち盛りなオノコが毎年選ばれるとあって、わざわざわしが絞り込みなどしなくとも、皆それぞれに若さと勢いに溢れている神々しい者たちだ。
今年も一人、活きの良い若者がオノコとなった。
夏休み初日。
急に静かになる学校の中で、ほとんどの者が見たことも無いであろう用務員室の中だけが、神事の小道具で派手に飾られる。
派手といっても、神棚にお神酒、部屋の内側をぐるっと取り囲むように注連縄と紅白の幕が張り巡らされる程度のものだ。
だが、この一式をもって結界が張られたものと見做され、一時的にこの空間は神のものとされる。
そこには神事の準備やオノコの選定に尽力してくれた先生すら立ち入ることが出来ずに、その中に居られるのはわしとオノコだけになる。
つまらない言い方をするなら、注連縄が立ち入り禁止のロープで、紅白の幕は目隠しシートだ。
わしとオノコの出で立ちは白のねじりはちまきに白い褌、白い地下足袋、となる。
特にわしの方は、オノコ(と神様)の気分を害してしまわぬよう、細心の注意を払っている。
慎重に事を進めながら選定したオノコには事前に神事の決まり事が言い渡されている。
その決まり事が、特に現代においては部外者に勝手に問題視される危険性の高いナーバスなものであるため、本当にオノコとなることが決定となるまではかなりぼかされた形で伝えられることになる。
そこで神事に前向きでない者はもちろん、不真面目な、あるいは不用意に言いふらしそうな人物はたとえ身体の成長度合いが著しく優秀であったとしてもオノコの選定からは漏れる。
オノコには、秘密を厳守できる誠実さと、神事を全うできる真面目さが不可欠である。
そして、神事に対する飽くなき欲求と探究心、好奇心も……。
良く育っているといっても、学校が学校だけに大人の体格にはまだ遥かに遠いし、オノコの面影はやはり幼い。
それでも、発育の良さが分かるほどの骨格と肉付き、幼い顔立ちの中にも僅かに勇ましさを認めることができる。
今年のオノコは可愛らしい子牛のような顔つき。
しかし、ごく僅かに大人への変身を感じさせる部分があり、勇ましい『獅子舞』の面を思い起こさせるところがほんのりとあるのは、張りのある頬骨と特に横に広めな鼻の形からくるものだろうか。
ほんのり林檎頬っぺの血色の良い顔は滑らかで、ナチュラルメイク顔負けの艶と滑らかさと潤いと張りを持ち合わせている。
その素晴らしい肌の質感はそのまま全身にまで行き渡っており、骨格や肉付きの成長にやや追いついていなさそうな若い肌は
完成形にはまだほど遠い肉体は、量的にはまだ不十分なものの柔軟な筋肉が、同じく柔軟でかつ弾力の強い脂肪の膜に覆われていて、余白の少ない皮膚にまとめ上げられることによって丸みを帯びた塊になっている。
オノコにしてはもしかしたらやや、若干肥満と言われてしまうかもしれない程度の胸と腰の膨らみ。
特に褌で締め上げられた脇腹から後ろに掛けての控え目な膨らみは、むっちりでむにむにで、それでいてパツパツとした張りと充実感も残す。
それに比べて、前腹の肉の余りが少ないのは、それこそ若さゆえ、なのであろう。
歩き方の癖の違いか分からないが、脹脛や足首が太い部類で、太腿の太さに見劣りしない逞しさを感じる。
それでいて、足全体の体毛もまだまだ少なくかつ産毛、というところがいかにもオノコである。
全般的にやや太めの体型でありながら緩みを感じさせない若い肉体。
その緩みの無さは白い褌にまで及んでおり、かっちりと締め上げた褌の布は両足の付け根の間の会陰がきっちりと見えるところまで吊り上がっている。
それは即ち、まだその褌の中のモノは垂れ下がるほど大きく成長していない、ということでもある。
その真ん中の竿についても同様で、垂れ下がるほどには成長しておらず、オノコの本体から大きくはみ出すこともなく、また、締め上げた白い布の中でもあまり存在感を主張できないでいる。
故に、褌の膨らみはかなりコンパクトにキュッと締まっているのだが、弛み無き肌と合わせてかっちりと引き締まった若さを感じる。
そして、その若さは、純白のヴェールを取り去るときに、一段と光り輝く。
(こちらは体験版です)
夏休みの神事
OpusNo. | Novel-077 |
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ReleaseDate | 2021-07-27 |
CopyRight © | 山牧田 湧進 |
& Author | (Yamakida Yuushin) |
Circle | Gradual Improvement |
URL | gi.dodoit.info |
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(こちらは体験版です)