がっぷり四つ 体験版
【まえがき】
※[ご注意ください]
【あらすじ】
無自覚の一目惚れが原因で入部してしまった強豪相撲部。場違いな貧弱チビだったマルはそれでも、努力と鍛錬を重ねて立派な横幅と主将の座を獲得した。
しかし、マルはそれに留まらない。背と手足以外の才能がぐんぐんと伸びて、高校横綱とアマチュア横綱まで手中に収める。
マルに追い越された一年先輩主将の佐野は、マルへの想いから、マルに追い付くことを決意。恵まれた身体だけではマルに不足と己を鍛え直す。一年遅れのアマチュア横綱とプロへの入門。
本物になった佐野を見て、無意識の内に心を奪われていたマル。そんなマルに、入門から二場所連続全勝優勝で遜色の無い地位に上がった佐野はついに、積年の想いを告白するのだった。
孤高の二人が結ばれて、お互いに唯一無二の存在となると、そこから、二人の快進撃はどこまでも続いていく。
【主な登場人物】
【目次】
強豪相撲部の顧問、松澤先生に無自覚の一目惚れをしてしまい、場違いな入部をしてしまったチビで貧弱だった僕、丸山守。
しかし、一途な努力は僕に眠っていた意外な能力を掘り起こし、身長は最小兵のまま横幅は立派になり、ついには、主将を任されるまでになった。
相撲部引退後にも時々来てくれた三人の強豪先輩達に特訓で可愛がられて、最終的には高校総体で個人戦準優勝者の先代主将、佐野先輩に『俺達より強い』とまで言われるようになった。
実際に、普段の部活の稽古では全く手持ち無沙汰になってしまい、特訓の後釜を松澤先生自ら買って出てくれることに。
そして僕は、想いを寄せる松澤先生に高校横綱の獲得を宣言した。
迎えた高校三年生、最後の年。
大会出場者の中で常に最小兵主将として臨んた相撲大会。
最初の大会は途中で敗退して全国に手が届かなかった。
しかし、全国規模の大会はまだある。高校総体もまだだ。
僕は負けても会場に残り、松澤先生とともに、なるべく多くの選手の見学をしていた。
そして、先生に模擬してもらいながら対策を考え、稽古を重ねていた。
もちろん、誰彼に対しての対策ではなくて、様々なパターンの相手の動きへの対策。僕の手段を増やし、決断と動きを素速くするための稽古だった。
松澤先生は僕の弱点を突く相撲が上手くて、それはそれは非常に良い稽古となった。
そして迎えた夏休み、高校総合体育大会。ここで初めて僕は全国に手が届いた。この大会の優勝者が高校横綱だ。
個人の予選をなんとか通過して、トーナメント戦で優勝が決定するこの日、会場には僕を鍛え上げてくれた先輩達が応援に駆け付けてくれていた。
柿沼先輩と糟谷先輩はざんばら髪に浴衣姿。この二人は高校卒業後、プロとして角界に入門し、同じ部屋に所属して切磋琢磨している。
「俺達は応援しに来たんじゃなくて、マルをスカウトしに来たんだぜ」
「ほゎっ?」
佐野先輩は高校の時と同じく丸刈りのままで、ラフでごつい普段着だった。
「いいや、マルはうちの大学に来るんだもんな」
「ふぇっ?」
「お前達、青田買いにしてもちょっと気が早過ぎやしないか? まぁ、分からんでもないけど」
同行している松澤先生の方が、なぜか自信あり気な受け答えをしている。
「ちょっ、先生」
僕の窘めなど無視して、先生はむしろより饒舌に、自慢気に語った。
「三人とも、まぁ、見てろ。今のマルは、お前達の知っているマルとは、また、もう一味違うから」
「へぇ、そりゃ楽しみだなぁ」
「優勝したら協会が放っとかないぞ」
「こっちは特待生扱いだ」
先輩達は平然と『優勝』の二文字を持ち出してくる。
「皆さん、そんなプレッシャー掛けないでくださいよ」
とはいえ、僕が目指してきたものはこの大会での優勝、すなわち、高校横綱であって、それは松澤先生に向かっても宣言したことでもあったし、ある意味、先輩達も僕に可能性があることを認めてくれているからこその発言なのだ。
「でも、それだけのことをやって来たんだろう?」
「ええ、まぁ」
「それなら大丈夫だ。思いっきり暴れてこい!」
「はい!」
正直、やはり僕がチビでリーチも圧倒的に足りていないという明確に劣る骨格によって、見た目で甘く見られたということもあるのだろう。
相手の動きや癖を読んで、相手の相撲を封じながら勝機を見出す僕の相撲に、土が付いたり、土俵を割ったりした相手は半ば『信じられない』といった放心状態に陥ることが多かったものだ。
幾ら相手の相撲を封じようとしても、間に合わなかったり、上手くいかないことだって当然多々ある。僕が負けるまでの間に幾つ手が打てて、その中で勝ちに繋げられるものが出てくるかどうか。何とかなれば良いのだが、相手は皆僕より骨格に秀でた人間だ。そう簡単にはいかない。
それでも、何とか勝ち進んで行くと、徐々に会場の雰囲気が色めき立ち、そして、急激に僕への注目度が上がってきたことは僕自身にも分かった。
しかし、他校の選手達にとっては今日、突然現れたかのように見えたのであろうダークホースに、完全に対処できた相手は居なかったみたいだ。
力で押し潰そうとしてきても、リーチの差で突っ張ってきても、早々に廻しを狙われたとしても、それぞれに対処の手段を幾つも磨いてきた僕は、瞬時に複合的に手を打っていく。
……気が付くと、僕はトーナメント戦では一つも負けること無く、次の試合はもう無いという状況になっていた。それはすなわち、優勝。僕が目標としていた高校横綱の地位を、宣言どおり、手に入れることができたのだ。
歴代最小兵の高校横綱誕生に、周囲は沸き返っていた。訳が分からないままに、あっちこっちに引き摺り回されてコメントを求められる。フラッシュをバチバチと焚かれる。
しばらく解放されなさそうな僕の様子を見て、先輩達は、
「うちの部屋に!」
「特待生!」
と大声で言い残して、帰っていった。
「しばらく、忙しくなりそうだな」
「でも、まだ大会はありますよ」
「そうだな、周りの人達にはちょっと自重してもらうようにしなきゃな」
とはいえ、相撲部の稽古にも注目が集まったことはそれなりに良い効果も産んだ。
やはり、外部の目が多くなって、稽古が一段と引き締まった感はあったのだ。僕はともかくとして、他の部員達の稽古の質が向上することは喜ばしいことではある。
一方で、当然のように高校総体以降、僕へのマークは異様に厳しいものとなっていた。
他校の選手からは、僕は常に変な視線を浴びせられ続けた。なにせ、如何にも強そうな選手が注目を浴びるのとはワケが違う。
僕への注目は常に、僕と対戦した、あるいは、僕のことを良く研究した人の話の伝聞によってもたらされるものだ。
だからいつも、『えっ? あいつが?』みたいなコソコソ話をされながら見られているような感じになるのだ。
「確かにそれなりに体重も力もありそうだけど、あんなに背が低くて手足が短いんじゃ流石に無理でしょ」
「いや、あんなんでも優勝してるんだって。あれで今年の高校横綱なんだよ」
そんな小さな声が耳に入ってしまったこともある。
厳しいマークの中で一発勝負に近い大会では、なかなか勝ち続けるのが難しい。努力しているのは僕だけではない。みんな、僕以上の資質があって、僕と同じように努力しているのだ。
結局、それ以降の全国規模の大会で個人優勝することはできなかった。それでも、一つは準優勝を獲れたのだから、僕の高校総体個人優勝は奇跡級のまぐれ、とは言われなくて済んだ。
それよりも、団体で一つ優勝できたことが大きかった。
僕個人だけでなく、相撲部全体としてレベルアップできたことも証明できて、それは非常に喜ばしいことであったのだ。
全国規模の大会を全て終えて、基本的に三年生は引退という時期を迎えても、僕は相撲部の稽古に出続けた。それは自分を保つためでもあり、部のレベルを保つためでもあった。そして、もちろん、松澤先生に会いたいからってのも。
そして、松澤先生からも僕は部活動の続行を強く推奨されていた。
季節は秋。進路を考えなくてはならない時期になってきて、僕は迷っていた。
そもそも、ぼくの背丈ではプロの規定で弾かれてしまうのだが、高校総体の個人優勝直後に協会が声明を出して、特例として歓迎してくれるとのことらしいので、プロの選択肢はあると考えて良いらしい。
そして、佐野先輩が誘ってくれている大学進学の選択肢も。学生横綱やアマチュア横綱を狙うという選択肢もあるのだ。例えば、その先に、松澤先生のような相撲部の顧問になって後進を育てるという道も考えられる。
ところがある日、松澤先生が僕に部活動を続けさせようとした理由を、僕に明かした。
「マル、全日本相撲選手権大会に出られるかもしれないぞ」
アマチュア横綱のチャンスは、もしかしたら、大学に進まなくても無いとは限らないのかもしれない。
と、そんな中、柿沼先輩と糟谷先輩の所属する部屋の親方が、わざわざこの相撲部にまで来て、直々に僕をスカウトしに来た。元横綱、明登関。同じ名前のまま年寄となって現時点では明登親方だ。
「なんか、同じ一門でもないのに、こう、何人も貰っちゃって良いのかな? とは、思うんだけどさ」
「まぁ、良いんじゃない? 俺は一応、もう、門外漢なんだし、俺が居たところは、それでなくても弟子で溢れかえっているからなぁ。うちのは特別必要無いだろう」
「でも、質がとびきり良いからな。やっかまれそうだよ」
「あはは。でも、俺は生徒の自主性を重んじるからな。あくまでも、生徒が行きたいところに行ける手助けをするだけだ。だから、もし、マルが嫌だと言ったら、渡さないからな」
「分かってるよ、それは」
確かに、柿沼先輩と糟谷先輩が入門したという繋がりがあるし、先生と親方は現役時代に何度も対戦したと聞くし。でも、なんか、それ以上に仲が良いというか、打ち解けている感じが松澤先生と明登親方の間には感じられたのだった。
「君がマル?」
「はい、丸山守です。初めまして」
「初めまして、明登です。よろしく」
「よろしくお願いします」
間近に来られると、確実に真上を向く勢いで見上げないと明登親方の顔は見えなかった。普段から背丈の低い僕は見上げることには慣れっこだが、流石にここまで上を向かされることは珍しい。
「んんっ?」
いきなりハグされて僕は驚いた。明登親方は背丈も凄く高いが、リーチがもの凄く長い。僕は簡単に明登親方の手中に埋没してしまった。
明登親方は僕を抱きしめたままで言う。その声はまるで、背後から聞こえてくるかのようだった。
「俺と一番、取ってみないか?」
「ぇえっ?」
その言葉にも僕は驚かされたのだが、松澤先生はいち早く賛同の意を表明した。
「お、稽古付けてくれるのか。それはありがたい! マルが今まで対戦したことの無いタイプだから、とても良い経験になるだろう」
確かに、幾ら僕がチビであっても、この骨格の差は高校相撲の範疇では未経験のものに違いはなかった。
廻し姿で仕切る親方と僕は親子、いや、大人と赤ん坊くらいに差があるような気がしてしまう。もしかしたら、これは『泣き相撲』なのであって、僕はこのまま親方に抱きかかえられて泣いてしまうのではないかという錯覚すら覚える。
ここまで差があると、基本、僕には潜り込むしか手が無い。どうやろうとしてもリーチの差が大き過ぎて、どっからどう攻めようとしても、捕まってしまいそうなのだ。
「マル、折角だから、立ち合いも大相撲の形でしてみたらどうだ?」
仕切り線の後方に両拳を添えた状態から審判の合図で始めるのではなく、お互いの呼吸でお互いが同時に両手を付いたところから始める立ち合い。
思い切って低く当たりに行ってみると、予想した以上に低く出された両手にどーんと突き飛ばされた。
下半身までは崩れなかったのだが、上体が完全に反ってしまった。これはまずい。第二波を受けて突き出しか、突き倒しで敗れるパターンだ。
僕は体勢を立て直そうとするが、同時にもう第二波は繰り出されている。僕はそこでその波を下に潜るのではなく、右に避けた。
やはり、元横綱だけあって、背の低い相手にも手慣れていたのだ。
ちゃんと低い位置に突っ張りを繰り出せる。そして、自分の特長とこちらの不利な点を良く分かっていて、直線的に繰り出してくるのだ。
その直線が命中してしまったら、僕は絶対に親方に手が届かないから勝負にもならない。
だから、避けるのは必至。でも下に避けるのは多分読まれてしまう。だから、左右方向で逃げた。
それでもぶつかってはしまったのだが、8割方は逸れて、僅かに親方の体勢が崩れる。そう、親方の左腋の下が、少しだけ空いた。
そこを僕は、親方の左足目掛けて突進した。廻しを取りに行くのでは普通過ぎるし、このリーチなら恐らく簡単に上手を取られてしまう。だから、今度こそもっと下へ。足を持って掬うくらいの勢いで。
ところが。
(うおっ!)
親方は急遽、突っ張りの仕方を変更して、下から掬い上げるように突っ張ってきた。威力は減るが、当たる確率は増える。場合によっては、その流れで下手まで取られるかもしれない。
微妙なタイミングで、僕は親方の足に手が届きはしたのだが、その間には親方の手も入っていたのだ。
だが、親方の足は僕の命綱。懸命に抱えに行こうとする。しかし、親方は下がりながらももう一方の手も捩じ込んできた。
一旦は親方を土俵際まで追い詰めたのだが、僕は決め手に欠いた。
親方の両手に阻まれて、僕は親方の足を完全には取りきれてはいなかった。
同じ失敗をするんだったら、上手を取られた方が潜り込んで行ける分、まだマシだったかもしれない。でも、両手でブロックされてしまって、しかし、親方も反撃できるような力の入る体勢ではなくて、お互いに膠着してしまった。
膠着状態の最中でも次の手を繰り出せない僕に対して、親方はさらに両手を深く捩じ込んできた。それは、僕からしたら想定外の動きだった。
普通なら僕の上体を浮かせたり反らせたりするような動きをしてくるのが定石のはず。しかし、ぐっと押し込んできて、頭を付けていた僕の上から親方の肩が伸し掛かってきた。
押し込んだ親方の手が先に、土が付きそうな感じでもあったのだが、僕の身体も押し潰されそうだった。
僕が堪えようとした途端に、親方は押し込んでいた両手を跳ね上げて、僕を弾き飛ばそうとした。
僕自身も潰されまいと上体を起こす方向に力を掛けていたから簡単に弾き飛ばされ掛けてしまった。
慌てて伸ばした両手がギリギリ親方の廻しに届いて、その流れで僕は親方を持ち上げる。
僕よりもかなり重い親方はドシリとした重量感のまま、浮くには浮いた。しかし、その身体は完全に僕を標的として浴びせ倒しにきた。
巨大な壁がバタンと倒れてくるみたいに、僕はうっちゃることも、吊り出すことも出来ずに、そのまま仰向けに倒れて行く。
親方が先に手を付いたが、これは庇い手であって、完全に僕は死に体だった。
ドバンと僕の身体に重量物が伸し掛かった。物凄い圧力。
この庇い手が無かったら、僕はどんなになってしまったことか。
「大丈夫?」
親方が自身の陰の中を覗き込む。
僕の目の前は親方の巨大な胸で覆われていて、光が差し込まずに暗かった。
「はい、大丈夫です」
明登親方は僕の無事を確認したものの、僕を半分押し潰したままで、全く
そして、そのまま、親方としてのアドバイスを僕に与えてくれた。
「良いか、怪我にだけは気を付けろ。怪我はどんな強い力士も一瞬にして弱くしてしまう。君は怪我さえなければ必ず上位で取れるだろう」
なんだろう、この不思議な感じ。
僕にずっと覆い被さったまま動く気配すら見せない明登親方から、徐々に相撲の勝負とは異なる熱が伝わって来ているような気がする。
じんわりと優しい、しかし、情熱的な熱。土俵上よりも、ベッドの上の方が似合いそうな、そんな雰囲気が親方から発せられているような感じがしたのだ。
「ゴホン」
松澤先生がわざとらしい咳払いを一つして、親方は先生の方を向いた。しかし、それでも親方は起き上がろうとはしない。
「なんだか、マルは常錦関に似ているな。常錦関も若い頃はこんな感じだったのか?」
僕は急にボワっと身体が熱くなった。憧れの松澤先生に似ていると言われて、嬉しさが爆発する。
しかも、
「俺は素直じゃなかったからなぁ。マルほど可愛くはなかったよ」
なんて言い方を先生がするものだから、僕はボウボウと燃えて熱くて仕方がなかった。
素直だという意味で、僕のことを可愛いと言ってくれたのだろうけれど、ちょっと誤解を産んでしまいそうな言い回しを、松澤先生は堂々としたうえに言い直しもしなかった。
そして、勝負を終えても全く退いてくれない親方と僕の体位と、先生と親方の特別に親しそうな間柄と、やり取りされた会話の内容が、まるで、僕が明登親方に抱かれているかのような妄想と錯覚を、僕の中に生じさせてしまっていたのだった。
「大相撲の魅力は、ダイナミックなところにある。普通なら小さい身体は歓迎されない。でも、小さいのに強い力士ってのは一番目立って人気者になる。大相撲にとっても、マルは貴重な人材だ」
そう、確かに通常、滅多にお目に掛かれないような大きな身体を持つ力士同士が、力強くぶつかり合ってド迫力の展開を見せ付けるところが大相撲ならではの魅力である。
そこに、標準的な体型の力士が増えてしまってはその魅力も半減してしまうだろう。
そんなところに僕みたいな、男性の平均身長にも全く届かず、女性の平均身長をやっとこさ超えた程度の力士なんて普通なら場違いも甚だしい。
でも、もし、それでも、強くて大きな力士達を倒していけるのなら。
この、逆に圧倒的な低身長は、大相撲の魅力に華を添える存在に成り得るだろう。『小よく大を制す』も大相撲の魅力の一つなのだ。
「君の四股名には『錦』の字を入れてあげるよ。マルが来るのを待ってる」
ようやっと、明登親方が身体を起こしてくれた。
明登親方の部屋の力士は基本、四股名の先頭に『明』か『登』の字を付けていた。
となると、僕がその部屋に入門したならば、僕が貰える四股名は『明錦』か『登錦』。なんだか、特に『登錦』は、松澤先生の現役時代の四股名『常錦』に字面が似ている。
なぁんて、思いを馳せてしまったりもしたのだが、そうこうしているうちに、本当に全日本相撲選手権大会に出場できることになって、取り敢えず進路のことは一旦、置いておくことになった。
この頃には僕の身長も何とか164cmにまでは伸び(足の裏の皮と頭の皮に脂肪が付いてぶ厚くなったからだという指摘は受け付けない)、体重はさらに増えて127kgにまでなっていた。
その全日本相撲選手権大会の当日。またもや、柿沼先輩と糟谷先輩が応援に駆け付けてくれていた。
「何度も言うようだけど、応援じゃなくて、スカウトだからな」
そして、佐野先輩はというと、僕の応援としてではなく、出場者として会場に来ていたのだった。
「マル、今日はライバル同士だな」
全日本相撲選手権大会は一日で取る番数が多い。もちろん、途中で敗退しなければの話だけれども。
そのせいか、僕はこの日、自分の意外な強みを発見することになった。
その強みとはスタミナ。部活動に加えて、先輩達と先生に特訓してもらった成果がこのスタミナに現れていたのだ。
低身長と短いリーチで決め手に欠ける試合運びでも、粘っているうちに単純に力勝ちできるような状況になったりするのだ。
しかし、だからといって、単純に試合を長引かせるような相撲を取っているようじゃ、その試合は良くても次の試合で体力的に不利になってしまうし、そんな消極的な相撲はできれば取りたくはない。
それでも、最悪手として粘る手段もあるとなれば、それも一つの武器となった。それに、粘れればより多くの手数も打てる。
そして、この強みが最も活きたのが最後の決勝戦。驚くことに、僕は決勝戦まで勝ち残っていたのだ。
驚いたのは僕だけではない。見ていたほとんどの人が驚いたはずだ。
しかし、それとはまた別に、僕には大きな驚きがあった。対戦相手が、あの佐野先輩だったのだ。
佐野先輩の出身校を知っている人は、やれ先輩後輩対決だ、新旧主将対決だ、と盛り上がっていた。
そして、僕等の脳裏には、あの特訓の日々が思い出されるのだ。
「マル、俺だって、あのときの俺のままじゃないんだぜ」
そう、僕は特訓の締めの取組で一度も佐野先輩に勝てたことは無いのに、佐野先輩は僕の方が強いと言ってくれていた。そして、それから10ヶ月余りの日々が経過して、その時よりも進化したと言う佐野先輩とこうして再び、相まみえることになったのだ。
はっきよい!
実際に対戦してみると、確かに特訓の締めの取組のときよりは対等に戦えている感じはしていた。
やはり、佐野先輩の言っていたとおり、特訓の締めのときには僕の体力がエンプティの状態だったから余計に不利だったようだ。けれども、こうして僕の体力がまだちゃんとある状態で戦ってみても、当然、僕は簡単には勝たせてもらえない。
やはり、佐野先輩の言っていたとおり、佐野先輩自身も進化しているのだ。
僕の特訓は佐野先輩にとっても新たな課題を見つけたターニングポイントとなっていたようで、佐野先輩も新たな環境で研鑚を重ねてきたのだ。
大きいけど大き過ぎない、重いけど重過ぎない、四つも突っ張りもできる、力もある、相手も良く見ている。そんな欠点の少ない万能横綱タイプの佐野先輩とは本当にやりづらい。僕の方がどこをとっても下位互換みたいな感じがしてしまうのだ。
それでも何とか喰らいついて、しつこく粘り続けていると、徐々に僕の手数を先輩が受け溢す場面が出てきたのだ。息はお互いに上がっているが、佐野先輩の身体が若干付いてこれなくなりつつある。
佐野先輩もそれを分かっていて、それで、若干無理のある大技を仕掛けてきたのだろう。だが、まだスタミナに多少の余裕があって、先輩の技に付いていけた僕は、大技で乱れた佐野先輩の体を崩しにいくことができた。そこが、勝負の分かれ目だった。
体勢を立て直しきれない佐野先輩に対して、僕はがぶり寄りを繰り返し、最終的には寄り倒しで勝負を決めた。
これは、先輩達との特訓の最後の取組で、寄りを決めきれずに逆転の投げを打たれたときのリベンジ、恩返しの形でもあった。
身体を起こして、先輩が起きるのを手助けしようと手を差し向けた時、僕は、佐野先輩がボロンボロンに泣いていたのを見てしまった。
先輩のあんなにも悔しそうな姿を見たのは初めてのことだった。
かつて、先輩が高校総体の決勝戦で負けたときには、それでも毅然とした態度で堂々としていて、泣くようなことなど全く無かった人だったのに。
僕はいつも、僕ばかりがハンデがあるから、僕はそのハンデの分も他の何かでカバーしなければならない、と思っていた。でも、僕にあったのはハンデばかりではなかったのかもしれない。その、他の何かが、ハンデをカバーできるほどのものであるならば、それは、立派な僕のアドバンテージなんだ。
佐野先輩の見事に鍛え上げられた肉体を持ってしても、僕のスタミナが上回ってしまっていた。本気で努力を重ねたのに通じなかったから、あれだけの悔し涙を見せたのだ。
盛大な歓声が渦巻く中、息を切らせながらも、なんとも言えない複雑な気持ちを僕は抱えていた。勝てば嬉しい、負けて悔しいなどという単純な感情では済まされない何かを、僕も、そしてきっと佐野先輩も生じさせていたに違いない。
それでも、僕が表彰を受けるとき、先輩は穏やかな笑みを以って僕に拍手を向けてくれていた。
取材では、やはり、僕の低身長、短リーチの話題の他に、佐野先輩も交えた先輩後輩の話題になった。
佐野先輩は簡潔明瞭に僕の特訓の話(もちろん、その後のお手当ての話はするわけが無いが)と、決勝戦の解析を行い、僕の武器が頭脳とスタミナであると位置付けた。そして、佐野先輩は決勝戦を踏まえた自身の課題を提示したうえで、『完敗でした』と潔く宣言した。
取材陣も僕も、その分かりやすく納得できる解説に感嘆しながら頷いていた。
そして、その相撲を見て、その話を聞いた人が誰しも感じていたであろう結論を僕が付け加えた。
「本当に紙一重でした」
プロ入りか、進学か、という質問には『これから考えます』とお茶を濁した。佐野先輩はそこでは言葉を発しなかった。
柿沼先輩と糟谷先輩とは結局、試合後、顔を合わせることができなかった。
想像以上に忙しい時間が続いて、観客席の人達は皆、帰されてしまっていたのだ。
やっと、解放されて、松澤先生と会場を後にしようとしたとき、出口には佐野先輩が一人だけで僕等の出を待っていた。
「お疲れ。残念だったな」
先に声を掛けたのは松澤先生の方だった。
「できることなら、二人とも優勝にしてやりたいよ」
との松澤先生の慰めに、
「また来年、頑張ります」
佐野先輩は言葉少なに答えた。
それだけで雰囲気を察したのだろうか、松澤先生は僕に、
「ホテルの場所は分かるか?」
と聞いてきたのだ。
「あ、ええ、分かります」
「じゃあ、俺は先に帰っているから。また後でな」
松澤先生は先に一人で行ってしまった。
「少し、良いか?」
「はい」
ゆっくりと二人、並んで歩き出す。
「マルはプロか大学か、もう決めているのか?」
「いえ、まだ何も」
「そうか」
三歩ほど進んでから、佐野先輩は立ち止まった。僕も合わせてその場に止まる。
すると、佐野先輩はこちらを振り向いて、
「マル、明登親方の部屋に、プロに進んでくれ」
「え?」
「マル、お前の相撲は元関脇常錦の相撲に似ている。常錦関の手が届かなかった大関、横綱の地位をお前の手で掴んでやって欲しいんだ」
「松澤先生、に……?」
「ああ。常錦関の相撲はスピードが目立ってはいたが、本当のところでは臨機応変さとスタミナで白星を重ねる力士だった。お前ほどではないけど、大相撲の世界では小兵の部類だったし、リーチも短い方だった。お前の相撲を見ていると、常錦関を見ている気分になる。それも現役・最高潮時代の、な」
「そう、なんですか」
「そういえば、マルは高校に入るまで相撲とは全く縁が無かったから、現役時代の常錦関は知らないんだよな?」
「ええ、松澤先生しか知らないです」
「格好良かったんだぜ。『きっぷの良い相撲』ってこういう相撲のことを言うんだろうな、って子供ながらに思ってたよ。なぜだか、調子の起伏が激しかったり、怪我したりで思うように勝てないときも多かったんだけどさ。お前はさらに小さくてリーチが足りないが、その代わりに安定していて力がある。きっと、良いところまで行けると思うんだよ。俺が決められることじゃないけど、大学とか教職とかを考えるのは、その後からでも良いんじゃないかって思うんだ」
「先輩はプロには入らないんですか?」
僕がそう聞き返すと、佐野先輩は一旦、僕から視線を外すように俯き、それから、やや経った後に思い直したかのように僕を見詰め直すと、意外な答えを僕に返してきた。
「俺はプロに入れる器じゃないと思ってた」
僕は驚きつつも、とんでもないことだと、即座に否定した。
「何言ってるんですか。僕よりもずっと横綱に相応しいじゃないですか」
「見てくれだけはな。でも、俺は高校で相撲部の主将にまではなったものの、決してプロで通用するような力も技も、そして、心も身に付いていなかった。何か、井の中の蛙というか、お山の大将みたいで、あくまでも、部内のトップでしかなかったんだ」
「そんな」
「いいや、そうだった。マルが相撲部に入ってきて、カリンコリンの煮干しみたいな奴があっという間に活きの良いカツオになってさ、主将になって、特訓で俺達を追い抜いていった。その時思ったんだ。マルが本物で、俺は偽物なんだ、って」
「そんなことは」
「まぁ聞けって。でも俺は、そんなんじゃ駄目だって思い直したよ。俺は本気で本物に成ろうと努力したことがあったか、って自分に問い
僕はいきなり佐野先輩に両肩を掴まれた。
佐野先輩の真剣な眼差しが僕に突き刺さる。
「俺は来年こそ、アマチュア横綱を獲って、必ずお前を追い掛ける。だから、お前は先に行って待っていてくれ」
「先輩……」
「俺と一緒に相撲取りの道を歩んでくれ。マル、お前が居てくれたら、俺はもっと頑張れそうな気がするんだ」
先輩のこの言葉が、僕の心を決めさせた。
「分かりました。僕は一足先に『登錦』になっていますから、必ず横綱獲って来てください」
「マル、ありがとう」
僕は先輩にぎゅううと抱き締められた。
じんわりと深みを増していく、長い抱擁。しかし、
「あ、ゴメン。まだ、早いよな」
自制するかのように、佐野先輩は僕を解き放した。
僕は、何が早いんだろう? と思っていた。
散々、僕を扱き、僕の中に射精までしてきた先輩が、今頃になって、ハグですら躊躇うようになるなんて。
しかし、この時の僕はまだ、気持ちの全てをぶっちゃけてきたわけではない佐野先輩の秘めた想いに気付いていなかったのだった。
(こちらは体験版です)
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がっぷり四つ
OpusNo. | Novel-024 |
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ReleaseDate | 2015-09-09 |
CopyRight © | 山牧田 湧進 |
& Author | (Yamakida Yuushin) |
Circle | Gradual Improvement |
URL | gi.dodoit.info |
個人で楽しんでいただく作品です。
個人の使用範疇を超える無断転載やコピー、
共有、アップロード等はしないでください。
(こちらは体験版です)